もう1つ書きましょう。昨今、スピリチュアルブームと言って良いのかもしれません。一昔前は、例えば「霊」の存在は怖いもの、恐ろしいもの、怨霊、怨念、タブー、夏の風物詩、稲川淳二・・・・・・みたいな感じだったかもしれません。今現在はだいぶイメージが明るくなったというか、霊なども含めて、スピリチュアルは怖いものではなく、「真実」を示すもの、物質的価値観で上手くいかなくなった人間が本来、求めるべき道みたいな価値観が広まりつつあるように思います。


私個人の考えですが、本来、すべての人間は霊性を備えた、霊的な存在だと思っているので(どこかで聞いたことあるフレーズだ)、私個人は、普段からスピリチュアルがどうのこうのを気にすることはあまり無いです。不思議話は色々知っているし、不思議な体験も色々とあるので、世間で言われるスピリチュアルについては、「ごく普通のこと」だと思ってます。スピリチュアルを信じる、信じないで論争しているのを見かけると、「まだまだ君らは分かっていないね、修行が足りないよ」と偉そうに思います(笑)。


かと言って、私自身、スピリチュアルの世界を常に意識して、朝、目が覚めたら守護霊に挨拶なんか一切しませんし、ご先祖様に叱られそうですが、お墓参りもあまり行きません(ごめんなさい)。スピリチュアルの世界は信じていますし、疑いようがないことだと思ってますが、普段の生活はかなり現実臭いというか、人間臭い感じです。三輪さんのような人間を超越したかのような存在には到底、なれませんし、なろうとも思いません。あくまで人生の生き方は、人間臭く、お金も好きだし、物も好き、好きなものはいっぱいあります。煩悩、欲望、野心だらけの存在です。でも、神様、仏様、龍神様、不動明王様、その他、もろもろの八百万の神様は信じていますし、うやまう気持ちをいつも心に忘れたことはありません。


若い時期、時間に余裕があった頃、スピリチュアルに凝ったことがあるのですが、そればっかりを考えてたら、「現実世界で生きにくいな」と感じたことがあります。好きな神様のことばかり考えて、1日をのんびり過ごすのは心地よいものではありますが、「お金が入ってこない」し、やるべきことが溜まっていくばかりでした。それでも一時期、スピリチュアルなことを片っ端から勉強していたこともありました。その結果、精神性は何だかすごく高まったような気はしましたが、「食べていけない」という点からはどうしても逃れられないことを強く実感しました。


私は中途半端なことが嫌いなので、スピリチュアルの世界に進むなら貧乏を覚悟の上で、徹底的に進みたい、極めたいと思ってましたが、その覚悟と勇気が無く、それよりも日々の生活、「稼ぐこと」を取りました。そして、どうせ稼ぐなら沢山稼ぎたい、不自由無いくらい稼ぎたい、ただ、自分の嫌なことはしたくない、自分のやりたいことをやりたいようにやって、沢山稼ぎたいと思い、今の自分があります。
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